10月に入りましたが
ここ数日残暑らしきものは残ってはいるのですが、秋らしい良いお天気の日が続きました。お天気は良いのですが、ここへ来て多くの人に愛された著名人の訃報が続いたのです。
三遊亭円楽師匠、ちょっと少し前までオレは死ぬまで落語をやるぞと、病魔と闘いながら時折つらそうな表情にも堪え笑いをとり、高座に上がりました。楽太郎として長く親しまれ「笑点」のメンバーの中でも不動の人気を誇りました。青山学院大学卒業だそうで、落語家には珍しいというか似合わない学校出身の方でした。でも今の時代そんな括りはないかな?
そして今朝、アントニオ猪木さんが亡くなられたという報道が飛び込んで来ました。言わずと知れたあの猪木さん、やはり病気と闘いながら、特に難病とのすさまじい闘いでした。最後まで周りの人に元気を出せと声がけをし、本人はさぞかし苦しいであろうに力を振り絞り、時には笑顔を見せ、その壮絶な人生を締めくくりました。プロレスの黄金時代をジャイアント馬場と築き上げたのは私の青年時代でした。当時を思い起こすとファンも馬場派と猪木派がいたと思います。私は断然、猪木派でした。その後私もプロレスをあまり見ず、遠ざかっていましたが、猪木さんの目を見張るような活躍は頼もしく面白くうれしく見ていました。時にはあらら・と思うような脱線気味の活躍?もありましたが、とてもここではそれらの全てを書ききれるものではありません。プロレスラー、政治家、実業家他、あらゆる立場で活躍した不世出の例えようのない人物でした。あご、ビンタ、タバスコ、赤いタオル、北朝鮮、燃える闘魂、元気ですか、卍固め、コブラツイスト、1,2,3、ダー、モハメッドアリ、スポーツ平和党、参議院議員、ブラジル移住、倍賞美津子、あー本当に書き切れない。
ただ、なるほどと思ったのは大手のY紙の取り扱いでした。小さかった。他紙の半分以下、やはり昔からの系列が今でも残っているようだ。 何はともあれ
残念 昭和はますます遠くなりにけり 合掌

