ソウル群衆事故 その2

韓国ソウル梨泰院の群衆事故は、日本人2人を含む156人という尊い命が犠牲になった。これからは、事故の原因究明と警備のずさんさを言われている警察当局の責任問題の追及が焦点となっていくでしょう。この事件を聞いてどうしても忘れられない事件、事故かな?があるのです。

私は生まれてすぐから40歳すぎまで、成田山新勝寺のすぐ裏手で成長しました。少年時代は自然と成田山境内は遊び場となっていました。本堂前のあの長い石段も数十回は上り下りしたものです。時々途中から振り返り、お正月の混雑の状態で転んだら、たいへんな事故になってしまうかもしれない、怖いなとよくひとりで心配していた。というのも、小さい頃、新潟の弥彦神社で起こった悲惨な事故を幼いながら、知っていたからです。

昭和31年、元旦、当時の言い方をすれば裏日本で最大の新潟市の弥彦神社で参拝客が将棋倒しになり、なんと124名が亡くなったのです。小学校低学年ではあったが新聞記事には興味があり、よく覚えていました。我が国最大の群衆事故です。そのため、あの石段を上り下りする度に思い出していたのです。口には出さなかったため、同級生や友達辺りでは、話題にもなりませんでした。

年月がすぎ、大人になり、議員になって何年かしたある年、新潟の弥彦神社へ視察で行ったのです。神社の方の案内で境内をずっと見て回りました。私はあの事故の石段はどこだろうと、密かに目で探していました。一緒に行った先輩たちは知らないようで何も言いません。一通り案内されたあと、思い切って聞いてみることにしました。不名誉なことであり、あまりに痛ましい事故なので聞かない方がいいのかなとも思いましたが、その事故の起きた石段らしきところがないため、「あの、昔、正月の元旦、大きな事故があったのはどこでしょうか?」と案内の方は別に驚いた様子はなく、よくご存じで、という顔で「実はここなんです。この石段を中心に大勢の方がなくなりました。」と、聞いてびっくり。今、自分たちが説明を受けていたわずか10段くらいの短い石段でした。子供の頃からのイメージの、急な長い石段とはあまりにもかけ離れた、5、6歩で登れそうな、ここで124人もの人が折り重なって亡くなったとは、案内の方から当時の事故のお話を伺いました。神社の狭い正面石段に数千人の参拝客が押しかけ、縁起物の餅まきが始まったときに事故が起きたと。

今回、梨泰院の事故と共通することがたくさんあることに驚かされました。それはもうすでに、ネット上で共通点が多いと話題になっています。

ここで書くには長くなるのでやめますが、一つ言えます。

あまりにも多い雑踏、群衆はたいへん怖いということです。いつの間にか押し込まれ危険な目に遭ってしまいます。十分気を付けましょう。