おびしゃ行事

昨日、15日(日)隣の地区になる刈分区のおびしゃに行ってきました。

刈分区とは隣同士でもあり、共同で花崎刈分区民会館という集会場を有している関係で、以前からとても深いお付き合いがあります。

それよりなにより、妻の実家が3年ほど前まであった(現在は更地)関係で、なくなった今でも妻の一家はもちろん、私も日頃より地域の皆さんにはたいへんお世話になっているのです。

この地域の恒例のおびしゃ行事は、毎年1月のこのあたりの日曜日に行われ、私は30年近く前から、お声がけ頂き参加させていただいております。当時は長老、古老が何人もいらっしゃって、古式にのっとって受け番の引継ぎなど行っておりました。そして、これからの人のためにと、挿絵入りで行事の進行の全てを大きな紙に書き残してありました。今では当時の方はひとりもいらっしゃらず、今年は儀式も若干簡素化して行われました。

成田市内でもこのおびしゃの行事の儀式は地区によって様々で、日にちも1月中のいろいろでしたが、現在はたいてい日曜日に行われているようです。

私もいくつかの地区のおびしゃに同席させて頂きましたが、儀式の内容については実に様々ですが、ただそのほとんどが、最後にはお酒がついているようです。

調べてみますと、おびしゃというのは関東地方の一部地域の独特なもので、千葉、茨城、埼玉の各県の多くの地域、大利根の流域が多いようですが、今も正月行事のひとつとして行われているようです。名称は、おびしゃ、オビシャ、オピシャというのですが、漢字にしますと、様々で、御奉射、御武射、御備射、御歩射、御武社、御毘舎など多彩で、どれが正しいというのはないようです。

弓で矢を射り吉凶を占う故事から変化してきたように思われます。

因みに、昨日の刈分区のおびしゃは別名奉射祭と呼ばれております。

私のいる成田地区のおびしゃは、これまで述べたものと大きく変わっており、女おびしゃだけが残っており、毎年2月に行われております。内容のご紹介はまたの機会にいたしたいと思います。